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    来間島の観光スポットのスムリャーミャーカ-

     

    スムリャーミャーカの風景

    スムリャーミャーカ スムリャーミャーカ
    スムリャーミャーカ スムリャーミャーカ

    スムリャーミャーカとは

    スムリャーミャーカ

    来間集落の中心にスムリャーミャーカという長間家大墓があります。スムリャーは長間家という意味で、ミャーカは巨石墓という意味です。こちらの墓は14世紀ごろに墓の内部からは青磁片なども見つかっています。かつては木造の建物があったかのような形をしております。こちらのお墓は県の史跡文化財に指定されています。。古くは来間大殿ミャーカ、最近ではグンソーミャーカとも呼ばれた古式床式墳墓です。中央に一枚の琉球石灰岩の平板がかぶせられ、石室は3室からなっています。縦6.5m横9m高さ2.3mの古式床式墳墓です。長間家一族の巨大墓で、上部に木造の構築物があったとも考えられています。昔はこの石室に遺体を安置し風葬していたそうですが、後世、風葬を嫌う考えから石の板で屋根を付けるようになったと言われています。大正時代まで実際に利用されていたそうです。

    スムリャーミャーカの詳細

     

    スムリャーミャーカ

    来間島へ観光の際に訪れるのがおすすめ。宮古島のお墓なのでイメージしているような本土のお墓とは違いますが、離島ならではお墓を体験するのにはおすすめ。また来間島内には竜宮城展望台などもあり、観光名所がいくつも点在しているのでドライブコースの一つとしていくのがおすすめ。

    スムリャーミャーカ
    無人島に逃げてきた兄妹 1360年ごろ、川満原は与那覇原軍に攻め込まれ、虐殺され、村人たちは四方に逃げ散りました。その中の兄妹「くりやけ」と「てだまつ」の二人も散り散りになっていましたが、兄は、来間島に泳ぎ渡り、海岸で火をおこしました。対岸からそれを見た妹は、「あれはきっと兄に違いない」と思い、来間島に泳ぎ渡ります。思った通り兄を見つけ、そこに泉を見つけて永住の地とし、夫婦となって暮らし始めました。その後、子孫が栄えて村を立てました。『宮古史伝より』 島が栄え人口が増え、それが千人にも達し、『来間島千人原』と呼ばれるようになります。

    スムリャーミャーカ

    このころには、島の住人が海を渡って、宮古島の与那覇前浜の北部一帯も耕作するようになっていました。 卵から生まれた三兄弟 下地川満に喜佐真按司という豪族が住んでいました。海外と交易もし、富を築いていましたが、なかなか子宝には恵まれませんでした。妻とともに一生懸命神に祈ると、その後女の子を授かりました。 その娘が美しく成長したある日、強い太陽の光が娘に差し込み、娘は妊娠し、三年後に三つの卵を産みました。その卵からは三人の元気な男の子が生まれました。男の子たちはすくすくと育ちますが、三人ともが大飯食らいで、按司たち家族は食べるものがなく困り果ててしまいました。 宮古島から来た三兄弟 按司は、来間島に行けば食べ物を手に入れられるだろうと思い、三人の兄弟を来間島へ行かせました、しかし来間島に着いてみると、村人の姿は見当たりません。

    スムリャーミャーカ

    村人を求めて村内を探していると、ある一軒家の裏で、大きな鍋が動いているのが見えます。兄弟達は、鍋に隠れて震えている老婆を見つけたのです。 千人が住み栄えていた来間島が、いつの日か怪物(赤牛)に襲われる、恐ろしい島になっていました。怪物に襲われるたび村人は一人ずつ連れ去られ、この時はついに90歳の老が婆最後の一人になっていました。三兄弟は力を合わせ怪物と戦い、逃げた赤牛を追います。赤牛の砦には門番の美しい娘がおり、娘に案内されて神様と会いました。そこで村人を返してくれるよう神様に頼んだところ、「村人が毎年の豊年の祭り「ヤーマス」を復活するなら昔通りにする」と約束したため、三兄弟はおばあの娘を連れて村に帰りました。

    スムリャーミャーカ

    三兄弟の長男がこの娘を嫁にし、次男はその娘の長女を、次男はその次女を嫁にし、来間の土地を三つに分けて暮らし始めました。

    再開した豊年の祭り

    島民はすべてこの三兄弟の子孫として、繁栄しました。その長男家がこの墓の持ち主スムリャーです。 旧暦9月の甲午の日に行われる「ヤーマス御願(うがん)」が、この復活した祭事です。3日間に及ぶ神女の祈願が終わった日の朝から三兄弟のゆかりの人々が集まり、子孫繁栄と豊穣を願います。ヤーマスとは、(家)+(増す)という意味です。島民はすべて三兄弟の子孫とされていることから、三兄弟が再開した祭りに全島民が参加し、前年子どもが生まれた家と、新成人を出した家が寄進をし、神前で報告をし、祈願主が来客の一人一人に祈願詞を歌い神酒を捧げる「サラビャース」を行います。二日目は、集落の中央にある「雨乞い座のデイゴの木」まで行き、踊りを奉納します。今年の豊作を感謝し、来年の豊作を祈願する祭りです。神との約束の行事ですから、今では台風が襲来しても挙行されています。

    兄妹は大津波の後、住民が全滅してしまった来間島にたどり着きます。 ここには、イザナキ・イザナミの国生み神話に似た兄妹始祖洪水神話がまず描かれます。土佐、宮古、インドネシア、ヤップ、ニューギニアに見られ、奄美から八重山へとつながっている説話の形です、 そして、強い光により妊娠する……太陽神神話、日本では天照大神に連なる神話に関連が見られます。 さらに「卵生神話」です。宮古島においては来間島のほかに上野村にも例があります。卵生神話はギリシャやエジプトをはじめ、世界中で広く分布しているモチーフです。 南方から伝播したと考えられる兄妹神話と、中国大陸から伝わったと考えられる卵生神話が混合して伝わっていることがとても興味深く、この地域の文化の多様性をあらわしていると思われます。

    まとめ

    スムリャーミャーカの祭礼の歴史には非常に奥深い歴史が眠っています。宮古、あるいは琉球の歴史が凝縮されて、いまだに多くのことが秘められている気がします。これらの古くから受け継がれた気を、ぜひ味わいに現地を訪ねてください。新しい世界観を感じ取ることができると思います。

    スムリャーミャーカの基本情報

    名称 スムリャーミャーカ
    所在地 沖縄県宮古島市下地字来間(MAPで見る
    アクセス 宮古空港から車で21分
    駐車場 あり
    食事(周辺) なし
    トイレ なし

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