宮古島観光情報
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大立大殿(うぷだてぃうぷとぅぬ)みゃーかの風景
大立大殿みゃーかとは
みゃーかは、かつて15世紀に宮古島の主長を務めた大立大殿恵幹という人のお墓であると言われています。宮古島のお墓は古くから巨石を使った石造の「みゃーか」という様式が主流で、これは宮古島特有のものです。近くにはかつての大豪族である仲宗根豊見親のお墓もありますので、併せて見学するのがお勧めです。仲宗根豊見親のお墓は、みゃーかと沖縄本島の横穴式を組み合わせたような独特のお墓になっていますので、見比べてみると面白いです。
大立大殿みゃーかの行き方
大立大殿みゃーかの場所は、宮古島市マティダ市民劇場の交差点近くにあります。バスをご利用の方は、マティダ市民劇場前のバス停を利用すると便利です。車をご利用の方は、すぐ隣に広い敷地の有料駐車場があります。
大立大殿とは
童名は真佐利で、大里大殿とも呼ばれます。1390年に沖縄本島の中山王察度に初めて朝貢を行った与那覇勢頭豊見親(よなはせどとぅゆみゃ)の孫にあたる人です。父親の泰川大殿が病気になり隠棲し、二人の兄も早世したため与那覇勢頭豊見親の後に宮古島を統治しました。長期に渡って安定した政権を維持しただろうことが推察されていて、琉球王国とも進んで交流を行っていました。後に島主となる仲宗根豊見親を養育したことでも有名です。当時7歳だった空広(そらびー)という子供の優秀さを見抜き、養育し、空広が17歳になると執権にして島内を治める実務を任せていました。
この空広はかつて宮古島を初めて統一した目黒盛豊見親(めぐらむりとぅゆみゃ)の5世孫なのですが、後に成長して仲宗根豊見親と呼ばれる偉人となります。最近の研究で大立大殿は、宮古島統一を最初に成し遂げ、豊見親と最初に呼ばれた人物である目黒盛豊見親に、幼い頃養育されていたのではないかという説があります。その昔、宮古島は武力で島を制覇しようとしていた佐多大人(さーたーうぷんど)と、それに対抗する目黒盛豊見親の二大勢力が争っていました。非道で残酷な佐多大人に対し、目黒盛豊見親は人望が厚く多くの人々から支持されていました。
ある時、大立大殿の祖父である与那覇勢頭豊見親が佐多大人に殺害されてしまいます。そのため当時まだ幼かった大立大殿が目黒盛豊見親に預けられ、養育されたというのです。つまり、与那覇勢頭豊見親の孫である大立大殿を目黒盛豊見親が養育し、目黒盛豊見親の5世孫である仲宗根豊見親を大立大殿が養育したことになります。大立大殿は、祖父と養親と養子が豊見親なのです。この3人の豊見親は、現在宮古神社に祭神として祀られています。大立大殿には跡継ぎになる子供がいましたが、琉球王府へ行った帰りに久米島で亡くなってしまい、その後仲宗根豊見親が島主として琉球王国から任命されました。仲宗根豊見親は琉球による石垣島のオヤケアカハチ討伐のための琉球船団を先導したり、与那国島の鬼虎討伐等で活躍した、宮古島の歴史的な有名人です。
大立大殿みゃーかの詳細
宮古島特有の墓様式といえばみゃーかですが、これは長方形に切り出した巨大な石灰岩で四方を囲み、その上に蓋石を乗せるというものです。このお墓は宮古島市内に残っているいくつかのみゃーかのうちの一つで、かつては石室の周囲にも巨大な石を用いて外郭が作られていました。昭和初期まで、この辺りは俗称で布干堂 (ヌヌドー) と呼ばれる海岸でした。当時は海岸の崖の側に建てられていたこのみゃーかですが、戦後海岸が埋め立てられ道路が拡張され、民家や倉庫が立ち並んでみゃーかが見えなくなると、人々からその存在を忘れられてしまいました。その後宮古島市文化財保護審議会の調査で存在が明らかになり、ブロック塀が撤去されて外から見えるようになりましたが、現在では石室の周りに作られていたと思われる巨石の外郭は撤去され、みゃーか全体の形状は不明のままです。都市計画道路整備に伴いお墓の周囲が保護され、案内板と階段が設置されています。道路整備の際に周辺が掘り下げられたために、このお墓だけぽつんと台の上に置かれたような形に見えます。
大立大殿みゃーか付近の施設
パイナガマビーチ
ビーチでのんびりしたい場合は近くにパイナガマビーチがあります。駐車場、トイレ、シャワーがあり、目の前にコンビニもありますので色々なシチュエーションに対応できてとても便利です。人工ビーチですが、宮古島の美しい海の色を満喫できます。海には猛毒のハブクラゲ侵入防止用のネットが張られた遊泳区域が設けられていて、小さなお子さんも安心して遊べます。
仲宗根豊見親の墓
歴史や史跡に興味のある方には、「豊見親墓」がお勧めです。大立大殿が育てた仲宗根豊見親が、自分の父親のために建てたお墓と、仲宗根豊見親の息子である知利真良豊見親 (ちりまらとぅゆみゃ)の墓と、あとんま墓の3つのお墓を合わせて「豊見親墓」として国の重要文化財(建造物)に指定されています。3つともそれぞれ特徴の違う個性的なお墓になっていて、時代の移り変わりや、当時琉球王国と交流があったことを感じることができます。
大立大殿みゃーかの詳細
名称 |
大立大殿みゃーか |
所在地 |
沖縄県宮古島市下里108-1(MAPで見る) |
アクセス |
宮古空港から車で12分 |
駐車場 |
なし |
食事(周辺) |
なし |
トイレ |
なし |
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